幼少の頃、叱られた時や悲しい時によく泣いていた私は、いつも母から決まって言われていた言葉があります。
「泣くのはやめなさい」
この一言で、私は「これ以上泣くと母に嫌われてしまう」そんな思いから一生懸命泣くのを我慢していました。
本当はもっと泣きたいし、悲しい感情を出したかったのです。けれど、いつしか泣くという行為を我慢し、
ただ心の中でその感情を感じるようになり、そして気がつくとその感情にさえ蓋をしてしまったように思います。
泣くことはよくないこと、周りに迷惑をかけること、そしていけないこと。そんな思いを持ちながら大人になりました。
そうして大人になった私は、娘が悲しくて泣いている時「泣くのはやめなさい」と
気がつくと当たり前のように母と同じ言葉を発していたのです。
母は子供の私から見ても忙しく働いていたので、私が泣いた時には母の心の声(うるさくて迷惑で、
イライラする。早く泣き止んで欲しい)が聞こえていました。私も娘が泣く度に、母と同じ思いを抱いていたのです。
泣きたくても泣けなかったあの辛い記憶。
悲しいから泣きたいし、自然と涙が出てくる行為を止めなければならなかったあの感情を娘も今まさに感じている。
当時の私は、母からただ抱きしめて欲しかった。悲しいよねと寄り添って欲しかった。
だからこそ、私は娘を抱きしめてあげよう。寄り添ってあげよう。納得がいくまで泣かせてあげよう。
そう決めて少しずつ実行していきました。
娘は、そんな私を代弁するかのようによく泣きます。
そして泣き続ける時は1時間でも泣いています。それは、まるで私が泣けなかった分まで泣いてくれているかのように。
私はここ数年、特に感情を開放し蓋をすることなく感じ切っています。
そしてスピリチュアルな活動を通して自分の魂に触れた時、自然と涙が溢れてきます。
神は完全なる愛であり、叡智です。
神は全生命に宿っており
私たちも神の一部なのです。
魂は愛に溢れています。
私が我慢していた涙は、全て魂からの声でした。
魂からの涙はとても美しいです。
娘が流す涙は、本当は美しくて愛が溢れています。
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