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  • Chinatsu

最後に残ったもの。

私は過去に結婚と離婚を経験しました。


当時アメリカに住んでいた私は、この離婚を機に帰国することになります。

お互い貯金もなく、子供もなかったため、財産分与などややこしいものは何も無く、住まいも家具も全部引き払うと、帰る頃には一文無しになっていました。


一人帰りの飛行機を待つ空港のロビーで、手持ちカバンに目をやると、そこには日本から持ってきた簡素な神棚と双子のインディアンの像が入っているだけでした。あとは預けたスーツケースが一個。


最後に私が持って帰るものがこの2つ。

それを見た時、我ながら笑ってしまったのと、なぜだか清々しい気持ちがしていました。


神棚は私がアメリカへ渡る何年も前に、伊勢神宮から持ってきてずっと手元に置いていたもの。

そして双子のインディアンは、元の結婚相手が友人からのお土産でもらった像でしたが、彼はそれに興味が無いようで、放ってあったのを、私がそれを見た瞬間なぜだか「私のもの!」とえらく惹かれてしまい、こっそり自分の手元に置いていたものです。


この二つは今でも私の手元にあります。

が、『神棚』や『像』それ自体は物質であり、これら形ある物もいつかは無くなってゆくもの。


しかし、その神性なるものへの想い、大自然の摂理と共に生きたネイティブ・アメリカンの教え、今生での経験からの気づきや学んだ教訓、築いた絆、思い出、これら肉眼では見えない形無いものは、永遠に私の元から消えて無くなることはなく、また、他者が奪う事もできないのです。

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