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  • Chinatsu

叔父からの知らせ

私の叔父が他界したのは今から17年前。


叔父は生涯独身で、自分の両親をあちらの世界へ見送り、いよいよこれから自分の人生と言う時に、脳梗塞を発症し、後遺症から半身不随となりました。以後、ヘルパーさんに来てもらい生活する毎日。

妹にあたる私の母も、毎月何度か家事の合間をぬって、片道2時間かけ叔父の元を訪れては身の回りのお世話をしていました。


そんな介護生活が7年ほど続いていた時のこと。

ふと私は一人叔父のもとを訪ねました。叔父はとても喜んでくれましたが、その様子からは、身体的苦痛と寂しさから苦悩の日々を過ごしているのが伝わってきます。 私たちは他愛もない話をして時間を過ごしました。

別れ際叔父が、「妹ともゆっくり話がしたかったなぁ。」と私の母への思いを呟いたので、急に変なこと言うな…と思いつつ、その日は叔父の家をあとにしました。


それから2週間ほど経ったある朝、私がいつもの様に目を覚ますと異常なほど肩が重く、首筋がパンパンに張り、まるで上から漬物石でも乗せられているような状態でした。仕事に向かったのですが、肩はずっしり重いまま、喉の辺りが見る見るうちに腫れ上がっていき、それはまるで二重あごのような状態になっていました。

痛みなどは全く無く、ただ熱をもってパンパンに腫れています。同僚にも心配されたので、仕事を早々に切り上げ帰宅することにしました。


母は腫れ上がった私の顔を見てびっくりしており、私自身もこれは大変な病気にかかったのだと思いました。

すぐに病院で検査を受けましたが原因が分からず、「2~3日様子をみてみましょう。」と薬も貰えないまま帰されました。そして家に着くと、母が血相を変えて「さっき電話があって、おじちゃん亡くなったんだって!」と慌てふためいており、そこで私は叔父の死を知らされました。

前の晩、再び脳梗塞を発症し、そのまま一人息を引き取っていたそうです。


私はそれを聞いた瞬間、全ての謎が一瞬にして解けた感覚を覚えました。「これ、おじちゃんだったんだ!」


律儀で責任感が強かった叔父は、自分が死んだことを早く誰かに知らせなくてはと言う一心で、私の所に来たのだと確信しました。それを証明するかのように、私がその事を理解したあと15分も経たない内に、不思議とその腫れはみるみる引き、あんなに重かった肩の重怠さも消えていました。

その後、急いで叔父の元を訪れて顔を見た時、それはまるで眠っているかのようで、身体的苦痛から解放された安堵の表情にさえ見えました。私は何故かホッとしました。


母や親戚たちは今でも叔父の話をすると「結婚もせず可哀想な人生だった….」と彼の生涯を振り返ります。

でも私があの体験から感じ取った感覚や叔父の最後の表情からは、決して彼自身、自分の人生をそうは思っていないと思いました。人生の後半で、身体的不自由さや心の寂しさはあったものの、全てから解放された今、最後まで人生を生き抜いた達成感と安堵する想いを叔父から感じるのです。


死とは肉体を捨て、生きる世界が変わるだけ。肉体を捨てた後も、本質の魂は生き続けることを知った貴重な体験でした。


ともあれ、「おじちゃん、本当にお疲れ様でした! そして、今までたくさんの思い出をありがとう。」


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