日常生活の中で気づかない内に依存心が顔を覗かせていることはよくある。
例えば私の祖父母の時代は、将来子供が親の面倒をみるのは当たり前といった考えがあった。
その根底にあるのは立派な依存心。
依存心はそこに執着という囚われの心を生み、感謝することを忘れ、視野を狭くする。
霊的な世界で観てもしかり。
自身のスピリットガイドに何でも頼ろうとするのは如何なものか。
スピリットガイドは言わば太陽のようなもの。
決して見放すことはなく、太陽のようにいつもそこに存在し、私たちに燦々と愛のエネルギーを注いでいる。
曇りや雨の日は太陽が無くなってしまったのではなく、その雨雲の上には泰然自若と存在しており、常に変わらず見守っている。太陽が見えないのは、自身で雨雲という要因を呼び、それを停滞させてしまっているが故。
それを「この雨雲を何とかして下さい。」とお願いするのは怠惰な依存心。
たとえスピリットガイドが何とか手を差し伸べようとしても、自身で雨雲を退ける努力をしなければ助けたくとも助けようがなく、また何でも聞き入れていてはその人の為にならず。
私は『人事を尽くして天命を待つ』という言葉が好きである。
いまある力の限りを尽くし、あとは天に委ねる。その時初めてスピリットガイドの導きに照らされ、いずれ、その大きな愛を知ることとなるだろう。
依存心からの脱却は、孤独感を払拭し、感謝することを知り、人を成長させるものである。
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