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  • Chinatsu

類は友を呼ぶみたい『波長の法則』

私がロサンゼルスで生活をしていた時のお話です。


言葉の壁や文化の違いもあり疎外感を感じていた頃のこと。自分以外の人たちが皆楽しそうに見え、なんだか羨ましく、私一人が嫉妬や劣等感の中にいました。

自分の不甲斐なさを感じつつもそれに蓋をし、周りの親切を受け入れられず、挙げ句の果てには全てを敵のように思い、「こんな人たちに私の気持ちなんて分かるものか。」と…私の心はとても荒んでいました。


ある日、大きな横断歩道を渡ろうとしていた時のこと、向こうから背の高い白人の女性が颯爽と歩いてくるのが目に入りました。その人はブロンドの髪をポニーテールに束ね、肌寒い時期にもかかわらず上は白のタンクトップ、両手をジーンズのポケットに突っ込み、ガムをくちゃくちゃしながら歩いています。ちょうどすれ違いざま、その女性がスッと私の正面に移動してきて道を塞ぐような形になったので、不意に彼女を見上げました。すると次の瞬間、彼女は私の顔に唾を吐いたのです。


私は突然の出来事に同様し、頭の中は真っ白。同時にその侮辱的な行為に怒りが爆発!

とっさに周りに落ちている石ころを探しました。頭めがけて投げつけてやろうと思ったのです。

でも何も落ちていないのが分かり、諦めて再び視線を向けると、その女性は一度もこちらを振り返ることなく、まるで何事もなかったかの様にスタスタと横断歩道を渡って行ってしまいました。信号が点滅する中、私は颯爽と歩く彼女の後ろ姿を怒りの眼差しで見つめるほかありませんでした。


「信じられない!」怒りに震えていましたが、反面、なぜだか彼女を100%憎む事ができない自分がいました。何故か…、私にはそうされるだけの心当たりがあったからです。口には出さねど、その時心に抱いていた、その国やアメリカ人に対する感情や思いは、顔に唾をかけられてもおかしくないものだったからです。もし心の声が聞こえていたら、袋叩きに遭っていたかもしれません。怒り・悔しさ・惨めさ・悲しさ、色んな感情が入り乱れていました。


晩になっても怒りは収まりませんでしたが、それでもやっぱり彼女を完全に恨むことができないままでいました。「自分に跳ね返ってきたんだ…」


私はこれまでの人生を振り返り、他にも2度、理不尽な目に遭ってきたのを思い出していました。一度目は私が10代の頃、渋谷の雑踏の中、柄の悪いお兄さんに不意に足を引っ掛けられ、転びそうになった私を見て「こんな生意気な顔して歩いてる奴もいるんだ。」とその人は言うと、近くにいた数人の女子高生と私を指差し、あざ笑うのでした。


もう一つはカナダで、見知らぬ白人男性にしつこく声をかけられたので、歩きながら適当に受け流していると、ニコニコしていたその人の表情が一変、目つきの鋭い悪魔のような顔に豹変し、汚い言葉で「おまえみたいな奴はとっとと国に帰れ!」と白昼罵声を浴びせられたのでした。

「一体わたしが何したっていうの!どうしていつも私なの!」


しかしこの3回の出来事を振り返った時、どうしても避けて通れないのが、その時の自分の心の在り方でした。どれも心が荒み、誰かを恨んだり妬んだりしている時ばかり。またどうして、そう言う時に限ってこんな出来事に遭ってしまうのか。

怒りや悔しさの中で確信したのは、『波長の法則』。自分と同じような心・想念を持った人を自分で引き寄せていると言うことでした。



3回目でやっとそれに気がついた時、これではいけないと思い直し、感情を一旦横に置き、理性で「何故そんなに自分の心が荒れているのか」ということに正面から向き合うことにしました。心・感情の乱れの根本を見つめ、自分の非を認めました。


 人間、『喜怒哀楽』があって当たり前。むしろ『喜怒哀楽』をたくさん経験した方がいい。

そしてマイナスな感情に陥った時は、その根本の原因に理性で向き合ってみることで、次なる成長へのステップに繋がっていくのではないだろうか。


 次の日、心の状態はまるで違っていて、それまでの周囲を敵と思う感情も消え、親切にしてくれた人達に申し訳ないとさえ思っていました。


そしてまた街を歩いていると、今度は黒人のホームレスらしきお婆さんが私に何やら話しかけてきました。昨日の今日で「また何か言われるのか…」と嫌な感じを抱きつつ、身構えていると、

「あなたの髪の色素敵ね。」と言って、その人は去って行きました。


拍子抜けしたのと同時に、そのお婆さんの後ろ姿を見ながら、私はなんだか清々しい気持ちがしていました。


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